西天満小学校 幼稚園
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西天満小学校 
明治42年7月北区の大火直前の
校門
校旗今昔 現在の玄関
現在の西天満小学校校舎


学校のあゆみ                       大阪市立西天満小学校130周年記念誌より

明治5.7.1 北大組第9区小学校設立(後の伊勢小学校)
   6.2.15 北大組第10区小学校設立(後の若松小学校)
   6.5.1 北大組第11区小学校設立(後の衣笠小学校)
明治17.7.1 伊勢小学校、若松小学校、衣笠小学校が公立西天満小学校に統合、改称。
各小学校教場は存続。
   18.3 北区立幼稚園を第一教場(若松小学校)に併設。
   18.10.1 現在地に西天満小学校校舎が完成、落成式。開校式
   22.10.1 大阪市立西天満小学校と改称。
   27.4.23 .西天満幼稚園々舎を小学校隣接地に新築落成
   42.7.31 北区大火で小学校、幼稚園全焼 幼稚園休園
大正 2.7.28 新築校舎落成式挙行
   14. 西天満幼稚園園舎落成、開園、園児202人
昭和 3.5.1 鉄筋校舎に改築し落成式。
   16.4.1 大阪府大阪市西天満国民学校と改称
   19.9.2 集団疎開(滋賀県高島郡)
   20.3.13 大阪大空襲
   21.4.1 西天満国民学校、菅南国民学校と合併、大阪市立西天満小学校に改称
   24.4.1 戦争の為休園中であった西天満幼稚園が菅南幼稚園西天満分園として開園
   47..11.1 創立100周年記念式典挙行
   56. 3 西天満幼稚園最後の修了式。菅南幼稚園に合併。
平成、元.1.8 PTA(文部大臣賞)受賞
   14.11.2 創立130周年記念式典挙行

                        
学年構成                                 平成19年5月1日現在
        
1年 2年 3年 4年 5年 6年
男子 11名   15名   14名   11名   13名   10名  
女子 11名 17名  5名  6名 11名 10名
合計(134名) 22名 32名 19名 17名 24名 20名
校歌 作詞 岡 正治 作曲 菅生 直己    現在
大大阪の空の下 ぼくらは咲かす わたしらも  文化の花を美しく 学んだ知恵で考えで
豊かに高くにおうまで 希望は燃える西天満
緑の風の吹く朝に 僕らは歌う わたしらも 平和の歌をはつらつと 真心こめてひとすじに
正しい道を歩むのだ 学ぶもたのし西天満
3 陽は新しく輝いて 僕らは守る わたしらも 民主のたてをゆるぎなく 自由の人となるために
力を合わせ築くのだ 誇りは高し西天満
西天満尋常小学校の校歌 昭和10年制定 作詞 斎藤周吉 作曲 山田耕作
1 大淀の流れを汲みて 清らかに育たむ 我ら 身に承けし祖父(おや)の血潮を
汚さじな我ら努めて 西天満校訓に日ふ 「忘るるな 天皇(きみ)の御恵み」
2 錦城の高さを仰ぎ 誇らかに立ちなむ われら 三千年(みちとせ)の国の歴史を
承けつがむわれら(ふる)ひて 西天満校訓に日ふ「ひたぶるにはげめ(なんじ)
3 菅公の遺風を(した)ひ おほらかに 伸びなむ われら 知と徳と欠くることなく
みがかましわれら学びて 西天満訓に日ふ 「汝よく日本人たれ」

大阪天満宮 西天満連合 神鉾講
陸渡御列第1陣3番目 船渡御列(天神橋乗船)2番目
鉾流し神事 7月24日宵宮 朝、8時50分より天満警察署前より鉾流し神事が執り行われ天神祭の無事と安全を祈念して幕開けとなる。この時乗船する神童は西天満小学校5年、6年から選出され校長の推薦による。
御旅所 天神祭は天暦5年(951年)6月1日に社頭の浜から神鉾を流し、流れ着いた所に斎場を設け御旅所と定めました。その後大阪の発展と共に下流に人家が増え、江戸時代には雑喉場の地に神殿を造り御旅所は固定されました。すると鉾流し神事の意味
もなくなり中止となっていましたが、昭和5年に復活されました。御旅所もその後は戎
島に移り、明治5年、現在の松島新地(西区千代崎・大阪ドームの近所)に定められ
た。(天神祭よもやま話より)
 
宵宮の朝、神事が始まるまで太鼓を鳴らしながら
大川を航行する、どんどこ船講の御烏船。
8時50分より始まった神事。祭りの安全祈願をする為に実行委員長、天満宮講社連合会、天神祭渡御行事保存会、及び各講元が一堂に集まり祈念する。
神事のクライマックス鉾を大川に流す。 神鉾神体
運営町会 西天満連合振興町会(旧町名15町会)
新町名 旧町名 旧町名の由来                      北区わがまち より
西天満3丁目 樋之上町 堀川が堂島川仁落ちる所に明治末頃まで樋門が設けられていたので。反対側は北区樋之口町に樋門があった。
西天満3丁目 老松町1 昔よりこの地に老松があって木の下に住吉大神を祭る(ほこら)があって住吉町と称したが明治以後老松町に変わった。
下記の老松神社、参照
西天満3丁目 老松町2
西天満4丁目 老松町3
西天満6丁目 梅ヶ枝町北 菅原道真公の愛好した梅にちなんでつけられた。
西天満4丁目 梅ヶ枝町南
西天満1丁目 若松町 北に隣接した老松町にちなむ。
西天満3丁目 源蔵町 不詳
西天満3&5丁目 伊勢町 源融が伊勢神宮の分霊を曾根崎洲に勧請して神明社を創建した時にこの地が神明社に近いところから。
西天満3&5丁目 富田町 神明社の縁故によるとの伝え。
西天満3&5丁目 西堀川町 天満堀川に由来。
西天満3&5丁目 木幡町 神明社の縁故によるとの伝え。
西天満2丁目 絹笠町 不詳
西天満4丁目 神明町  江戸時代、大阪三明神のうち最も有名な神明社がここにあった
西天満2丁目 真砂町 佳名

旧町名地図

大阪天満宮 天神講
陸渡御列第一陣七番目 船渡御列 奉安船供奉船列第七番目
運営町会 大阪天満宮氏地全般。総勢500名以上の大所帯。
宵宮 午前9時頃より氏地を6〜7班に分れて巡行、4時頃より天六から天一、滝川
公園をへて7時ごろ天満宮に宮入。
天神講宮出 本宮 陸渡御約4時頃 船渡御上船 約6時頃
参加申込
練習
前年度出場者には4月頃案内状を送付、新規申込者は衣装の空きがないと出場できない。出場者の練習は7月15日から神社内で
参加費 乗船付 8000円 乗船なし 6000円 (衣装クリーニング代込)
衣装渡し 7月20日神社内指定場所で
衣装返却 7月26、27日までに神社内指定場所に。
傘踊りの子供たち。上着と軽衫(かるさん)鉢巻手ぬぐい以外は自前。タスキは手ぬぐいを縫い合わせて自分で作る。傘と鈴、腰に巻く色布と鈴、等ヘヤースタイルと合わせて自由にアレンジする
露天神、大阪天満宮の祭りを梯子した左2人、,大変御苦労さんでした。 講元(菅南16期)
稚児CHIGO采女UNEME
稚児の衣装と付き添いのお母さんの浴衣は神社
からの貸出です。渡御は途中までです。
約10名の被衣(かずき)の乙女たちの奉仕。
結構、暑そう!!!!
堀川戎神社   
榎木神社(堀川戎東門右側、通称、地車稲荷神社)

堀川戎神社の御由来、十日戎等の説明は神社HP,右上、家紋をクリックしてください。 

賑わう堀川戎神社本殿前      2010−1-9 阪神大震災福興戎石像
堀川戎東門で売っている縁起物。福箕(フクミ)、
熊手,吉兆の付けられた福笹。
正門入って、右側の地車稲荷神社。
名物、お多福飴
目なし達磨。 十日戎、夜店の昔懐かしいリンゴ飴

老松神社
・昔、旧老松町3丁目に住吉方大社影向の松
といわれる松の木があった。江戸時代、老松の二字を冠する神社が創建され、社地も広大で、明治5年町名改正でこの辺一帯に老松町
と名称がつけられた。明治40年廃社となった
・以前、西天満4丁目8-2の路地の奥にあったが今は大阪天満宮内 駐車場入り口はいって
右側の所に移転、合祀されている。
神明碑
旧神明町にあった神明碑は曽根崎1丁目に移転、露天神社で合妃されている。

小学校卒業時の住所分布  旧住所表示
北区外 34名 紅梅町 1名 竜川町 2名
市之町 6名 此花町 11名 富田町 9名
伊勢町 13名 菅原町 15名 西堀川町 9名
朝日町 1名 神明町 2名 鳴尾町 6名
梅ケ枝町北,南 23名 天神橋筋1丁目 18名 中崎町 2名
老松町1,2,3 21名 滝川町 1名 東堀川町 1名
木幡町 15名 壺屋町 1名 樋ノ上町 12名
源蔵町 7名 旅籠町 2名 真砂町 6名
河内町 1名 天神筋町 12名 与力町 2名
川崎町 1名 樽屋町 3名 若松町 16名
黒崎町 2名 地下町 7名 絹笠町
北扇町 2名 龍田町 2名
新しくなった公会堂前 京阪電車なにわ橋駅周辺


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